幸福感とは

投資とお金の話
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お金持ちの家に生れた人を見て、「羨ましいな~」と思ったこと、私は何度もあります。
私が生れた家は会社員の父とパートの母で決して裕福ではなかった。子供の頃は自分の家は貧乏な方だと思っていたので、会社経営をしている友達の家に遊びに行くと、いつもおやつが出てきて羨ましいと思っていました。
今になって思えば、私の家はごく普通レベルだったんだと理解できます。上を見れば限がないし、テレビで極貧生活で育った芸人さんのエピソードを聞くと、まだまだ幸せな方だったんだと大人の今になって気づかされます。

じゃー幸せって何なのか?お金持ちの家庭に生れれば幸せなのか?
この歳になって色々な方の人生を聞く機会も自然と増え、決して育ちだけが幸福感を決めるわけではないというのは理解できます。

二杯の天丼はうまく食えぬ

本多静六さんの「私の財産告白」に、「二杯の天丼はうまく食えぬ」というエピソードが紹介されています。

当時のごちそう「天丼」。これを本多さんは貧乏学生時代にご馳走になったそうで、めちゃくちゃ美味しかった。
それを海外留学を終えて帰国し、念願の天丼を食べに行ってやはりめちゃくちゃ美味しかった。
大人になってお金も持っているので、欲張って二杯目を注文したが二杯目はそう美味しく感じなかったという話。

幸福のベクトル

この中で本多さんは贅沢生活や欲望、蓄財についても同じだと言っています。
月一万円生活をしている人が月二万円生活になっても幸福は二倍にはならない。
十万円の貯金ができたからと言って、それだけでは幸福感が倍化することにもならない。

人生の幸福とは現在の生活自体よりも、その向き(ベクトル)が上り坂か下り坂か、上向きか下向きかによって決まる。

幸福感とは

言われてみると「確かに」って思います。
お金持ちの家庭に生れても、もしかしたら人生のピークが生れた時かも知れない。
その後、親の会社が倒産して貧乏生活を送ったという話もよくある話です。

「隣の芝生は青い」ということわざのように、人は他人が裕福層そう(羨ましい)と見えてしまうものです。しかし、自分の上がいるように下も必ずいます。私はそう思っています。

そう考えれば貧乏生活は決して幸福のどん底とは限らない。
今人生の底辺にいるなら、あとは上るだけ。人生上昇曲線しかあり得ないと考えれば、その人の幸福感は常に上向き。

だからと言って、多少小金持ちになって贅沢をしても幸福感が増える訳ではない。
人間の欲望には限りがありませんから、成功体験から小金持ちになっても謙虚さを忘れず、常に上向き曲線の生活を意識したいと思います。

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